僕のストーリー

僕の名前はKaito Swan.

僕は、世界中の環境に恵まれずに助けを求めている全ての子供たちを助けるために毎日を生きている。

それを僕は夢だとか、大志だとは言わない。だって僕がしようとしている事はとてもシンプルで当たり前の事だと思うから。

人は皆、最低限の生活をし、教育を受ける権利を平等に持っている。

毎日、多くの子供が飢えている。

毎日、多くの子供が助けを求めている。

毎日、多くの子供が死に絶えている。

その一方で、多くの人々が、世界のどこかで多くの子供が、人々が死に絶えている実情を知っている。けど何もしない。

誰もこの不平等な世の中を変えようとしない。

誰1人もではない。世界で必死に奮闘している人たちもいるのを僕も知っている。でも、この世の中の醜い現実が変わっていないのが実情だ。

人々は、他の人々を蹴落として金を求める。もっともっとと金持ちにと。

それがこの世界のリアルだ。違うかな? もしあなたが、それは違うと言うなら、あなたは良い人々の中の1人だ。

僕は、この世界のリアルに向き合っている、ごく普通の人間。

初めに、僕のストーリーを話したいと思う。僕は常に、人のバックグラウンドを知らずして、その人の事を理解する事はできないと思うから。という事で、簡単に僕のストーリーを話そう。

1995年5月、僕は東京で生まれた。その頃、僕の家族はとても貧乏だった。その理由は、僕の父親は酒飲みで、彼の稼ぐ給料は毎月酒と、彼の趣味の為に使われ毎月1円足りとも残る事はなかったから。更に悪い事に、彼の手持ちの金が無くなると、彼は金を借り始めた。僕が生まれて1年が経ち、年子で妹が誕生した。そして僕の家族の財政は更に悪くなった。妹が生まれて、僕の母親は僕と妹2人を背負い働き始めた。母は一生懸命働いた。けれど、そんな母の努力が実る事は無く、毎月1円足りとも金が残る事はなかった。父は子供が好きではなく、僕の中に父に遊んでもらった記憶はない。

僕が3歳になる頃、母はもっと金を稼ぐ為に夜の仕事を始めた。それ以来、母が夜、僕たちと家にいた記憶はほとんどない。僕は父と過ごす毎晩が大嫌いだった。父はとても短気で、感情的で、怒るとすぐに怒鳴り、そこらの家具や物に当たり僕たちを怖がらせた。父が怒った次の日は、家中そこらに壊れた家具が散らばってた。幼い頃は、それを見ていつも家具たちがかわいそうだな、と思っていた。激怒の次の日は、父はその家具をなおす。そしてまた壊す。それを数回繰り返すと家具はもう使え無くなり、新しい物を買い、また無駄に金を使う。その繰り返し。1つだけ良かったことは、父は1度も僕たちに手をあげなかったこと。

僕が5歳の頃、母の両親が僕の喘息を心配して空気が良いところに一軒家を買ってくれた。今でもよく覚えている、新しい家に引っ越した最初の週に、父と母はかなり激しく喧嘩をして、新居に幾つか大きな穴を開けた。その家の傷を見るたびにその時の喧嘩を思い出す。

僕が6歳になる時、母は日曜を除いて週6で夜働き始めた。母が週6で働き始めた時、母は僕と妹に言った、毎晩家に居ない代わりに毎週日曜日はどこかに連れて行ってくれると。その約束はほぼ叶わなかった。ほとんどの日曜日は、母は疲れを癒すために1日中寝ているか、仕事のために店の客と接待に出かけて行った。人生で1度だけ、家族で隣町の動物園に1泊2日旅行に行ったことがある。それが僕が唯一家族でした旅行で、僕の幼少期の1番の思い出だ。

僕が8歳の時、その瞬間がやってきた。それは僕が朝学校に行く前、いつものようにテレビでニュースを見ていた。ニュースでは、その頃毎日のようにまだ幼い子供が殺される報道が続いていた。それを見て思っていた、なぜ罪もない子供たちが殺されなければいけないのかと。その子供たちは僕より年下で、何も悪いことはしていない。そしてなぜ誰も彼らを助けなかったのか?たくさんの大人がいるのに。けど、その日は違った。その朝、いつものようにニュースで子供が殺されるニュースを見て、僕の中に強い怒りを感じた。それはなぜの中の大人は誰も罪もない子供たちを助けないのかと。僕は、世の中の威張っているだけの大人に失望した。そしてものすごく悲しかった。哀れな殺された、暴力を受けた子供たちを思うと泣きたいほど悲しかった。そして現実を感じた。この世界のトップにいる人たちは、子供1人1人の命なんて気にしないんだと。そして思った、僕なら子供たちを救えると、僕が救わなくてはいけないと、僕がこの腐った世界を変えなくてはいけないと。

14歳の時、真面目に、僕は自殺しようとした。その頃、毎晩どの方法が1番楽で周りに迷惑をかけない自殺方法か調べていた。毎晩毎晩神に祈った。でもダメだった。そして、神は僕を助けてなんかくれないと知った。ある夜、方法が決まり、そろそろかなと思い家族に向けて遺書を書き、ベットに潜って自分の哀れな人生と、母のことを考えた。母は自分の後を追ってくるかもしれない、と考えると涙が止まらなかった。僕は1度自分の人生を捨てた、そしてもう1度生きるチャンスをもらった。そして、この2度目の全ての人生を子供たちの為に賭けようと決めた。

14歳から17歳は、僕の人生の中で1番辛かった時期だ。自分の醜い、哀れな人生を思ってたくさん泣いた。この数年間は、毎日を生きるのに必死だった。

18歳の時、父から離れたくて、とにかく自宅から離れた入試が簡単な専門学校を選んで家を出た。

僕は何度も母に、アルコール中毒の男に金を払うのなんてやめろと言った。ある日、母は言った、“私は人生のゴールは誰かと結婚して子供を持つことだと思っていた。それで人生は終わると思っていた。けど、それは違かった。私はあなたの父を、私の人生の為に結婚を急き立てて私の人生に引き込んだ。私には彼の人生に対して責任がある。だからこれからも彼に金を払い続ける。それが、私が唯一できる、彼の人生に対する罪滅ぼしだから。”と。母は今でも彼に生活費を支払い続けている。それが僕の母の人生。

僕は父を自分の家族だとは思わない。大事なのは血縁や、書類上の文字ではなく、人の心だと思うから。僕は血縁上の人であろうが、誰であろうが、自分が尊敬できる優しさを持ったものを愛する。

僕のここまでのストーリーは、とてもネガティブで、悲しさでいっぱいにみえるかもしれないけれど、僕は、この僕の今までの人生に感謝している。だってその人生が僕を育て、今この地の上に助けを求めている子供たちを、尊い命を守ろうとして、僕は生きている。

これは僕のストーリーで、嘘、偽りなくこれが僕の生きてきた人生。

そして僕は自分がそうしたいし、するべきだと思うから、僕は子供たちに最低限人が持つべき人権と、子供たちに夢を掴む為のチャンスを与える為に僕の人生を賭けてこの問題に取り組んでいく。

ここまで時間を使って読んでくれた方、どうもありがとう。

子供が自由に、安全に、平等に、教育を受けて生きていける、そんな世の中の為に願いを込めて。

Kaito Swan

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